共働きで富裕層を目指す

共働きで富裕層を目指しています。会社員生活も終盤で、現在はセカンドライフの模索中です。

電子立国日本の凋落と歩んできた会社員生活

 私は80年代後半に、いわゆる大手の総合電機メーカ系の企業に入社して、ずっと技術系の開発業務に携わってきました。現在も同じ会社に努め開発部門で管理職をしています。就職時はバブル景気の恩恵は特には受けていないのですが、バブル世代としてひとくくりに扱われている年代になります。

 私が入社当時は、「電子立国日本」というNHKの番組が作られており、日本のエレクトロニクスメーカが世界を席巻していた時代でした。入社した企業も、世界No1の製品がゴロゴロしており、憧れの企業に入社できたことに嬉しさと不安を感じていたことを思い出します。入社してからは、エンジニアとして一人前を目指して猛烈に仕事をしました。研究所の東大や京大出身のものすごく優秀な方とも仕事させていただき、自分も技術者として少しでも成長して成果を出したい、という思いでしたね。同期との競争もありました。

 競合より性能の高い製品をできるだけ早く市場に投入するべく、職場は常に忙しい状況でした。妻と結婚したのは入社して4年たったころですが、若かったので、私も妻も遅くまで仕事をしていました。当時は、日本企業は世界一努力しているから、世界一になったんだ、と信じていました。半導体が強すぎて外交問題になったりしてましたね。そういえば「○○社が韓国サムスン電子半導体技術を無償提供」なんて新聞記事もみました。日本経済も絶好調のころでしたが、当時はそれがずっと続くものと信じていました。

 しかしながら現在では韓国企業や中国企業にシェアを奪われてすっかり斜陽産業になってしまいました。30年前はこのような状況になるとは夢にも思いませんでした。いろいろな要因はあったとおもいますが、日米半導体摩擦で技術を流出させてしまったことが大きかったとおもいます。それと現場の技術者は優秀でしたが、やはり経営者がプロではなかったのでしょうね。何事も決断が遅く中途半端だったと思います。大企業にいると、本当に優秀な人が昇進するってわけではなく、うまく組織を泳ぐ人が上にいく、って傾向は確かにあります。しかし自動車メーカや素材産業は今でも世界で存在感があるのに、電機産業だけこうもダメになるとは、なにか特別な要因があるのでしょうかね。80年代に成功しすぎて拡大しすぎた結果でしょうか。会社の人員構成もバブル期に大量採用した人員が、削減されずにだぶついて重荷になっています。海外の競合会社だと、とっくの昔に人員削減していたとおもうのですが、日本の法律は、解雇は容易ではないので、人件費のコスト負担がかなり重いとおもいます。こんな状況で海外メーカと勝負なんてできないでしょうね。

 私もコストの一部になりつつありますが、会社にしがみつく必要もありませんので、お荷物になってると感じたらすぐに会社をやめようとおもっています。 十分な資産を持つ事は、贅沢ができる、というよりは、人生の選択肢が増える、という点に一番のメリットがあるとおもいます。